最高学府で学ぶにふさわしい品格を

 

地域学部長 岡田昭

 

 

 

 

 

鳥取大学へ入学した皆さん,お祝いするとともに心から歓迎いたします。40数年前には,私も同じように祝福されたことがあったことを思い出しています。私自身がそうであったように,受験生としての生活は陰鬱な毎日だったことと思いますが,苦しいことがあってもいつかは喜びの日がくるということを,今まさに実感できているのではないでしょうか。

 皆さんの胸の中には,大学生活に対して様々な希望がふくらんでいることでしょう。ただ,大学は学問の場であることは言うまでもないことです。自ら選択したそれぞれの専門についてしっかり学習すること,これを常に中心において欲しいと思います。生活の半分をサークル活動やアルバイトなどが占めるといった時期があっても良いでしょう。でも,卒業研究を行う4年生や,大学院生になっても,そのままということでは何のために大学に入ったのかわからなくなります。社会人になった際に「自分の専門は○○です」と明確に言えるようになって欲しいと思います。

専門性を身につけることのほかにもう一つ,大学在学中に是非とも身につけて欲しいことがあります。それは,大学という,最高学府とも言われる高等教育機関で学んだ以上,それにふさわしい気品あるいは品格を身につけて欲しいということです。気品や品格というものは,その人の思考や言動,趣味などに自然ににじみ出てくるものです。人は一人では生きられません。必ず他人との交わりのなかで生きていくことになります。人生の中では,他人との交わりがどうにも嫌で悩みに満ちたものとなる場合もきっとあるでしょう。あるいは,既にそうした経験があるかもしれません。これは,相手にあるいは双方に,気品というものが備わっていないことがその大きな要因の一つである場合が多いと思います。

 さて,それでは気品とはどういうことなのか。先ずは,よく言われることではありますが,相手の立場になって考え,行動するということでしょう。これは最高学府に学んだものにとってふさわしいだけでなく,人としての基本だろうと思います。次に,気品ある思考のためには,物事を一面だけでとらえないこと。側面的視点や,周辺の事象も視野に入れてとらえることが必要です。具体的には,例えば知らない学術用語の意味を調べるといった際は,一つの辞書だけでなく複数の辞書にあたるべきです。同じ用語でありながら,ニュアンスの異なる,あるいは視点の異なる解説がなされていることはよくあることで,それらを読むことによって,理解はより深まります。ところで,今では調べものをインターネットで手軽にできますが,この場合はニセモノ(間違い)が紛れているということを前提に利用する必要があります。インターネットの記事では,辞書のような監修という手続きがとられない場合が普通だからです。上にニセモノと書きましたが,種々の意味でホンモノを志向するということも気品につながり,それは例えば趣味の上品さにも表れてくるでしょう。

 気品ある行動に関して,私が日頃感じていることをわずかな例として書いておくことにします。大学構内で,建物の出入口前が多数の自転車でふさがれていることによくぶつかります。駐輪した本人も含めて,皆が迷惑するだろうことを何故平気でするのでしょうか。また,スーパーマーケットなどには,身障者用の駐車スペースがあります。ところが,その入口にもっとも近く便利なスペースの利用者に,身障者をみかけることはめったにありません。こうした例は,極めて品格に欠ける行動だと言わざるを得ません。駐車場が満車であっても,正当な利用者が居ない限り,そのスペースだけはぽっかり空いているという光景を日常的に目にしたいものです。最後に,気品に関わる行動についてもう一つ。それは,必要以上の大声は慎むべきということです。レストランや汽車の中,そして身近には校舎の廊下で,聞きたくもないのに耳に入ってきてしまうような大声で話しまくっているのに出会うと,その品の無さにうんざりしてしまいます。しかし,大声というのは元気でよいという見方も,世の中にはあるようなのです。我が家の前の公園入口に「大ごえで明るいあいさつひびきわたる」という標語が掲げられています。明るいあいさつまでは結構と思うのですが,それが町中にひびきわたるなどと想像すると,恐ろしささえ感じてしまいます。なにせ玄関の真ん前ですので,毎日のように目にしてしまい,そのたびに何とも言えない違和感を覚えている次第です。

 独りよがりのことを書き連ねて,品がない!・・・と言われてしまいそうな気がしないでもないですが,一人でも気品・品格ということに心を致してこれからの学生生活を送っていただければ幸いです。